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2008年 11月 07日
成田新道
ちょっと昔の中込を顧みる「中込あのころ」今回は、前回に引き続き中込の料飲街。前回は、「弁天通り」と「相生町」のお話を聞くことが出来ましたが、今回は、その西側の「成田新道」の通りについて、当時(区画整理前)そこにあった「工藤旅館」さんと、お菓子の「梅月堂」さんにお話をお聞きしました。 成田山が中込に? 成田新道はそのむかし、今野沢にある成田山を祀るにあたり中込の成田新道の北側(広和といっていた)への設置の話がありました。しかし場所や広さなど諸々の問題があり、結局野沢に祀ることになったのです。 そこで名前だけが残り、通りができたので、そのまま「成田新道」となりました。 今ここに成田山が祀ってあったなら、中込はいろんな意味で大きく変わっていたでしょうね。 夜もにぎやかな街 銀座通りより入ると花屋さん、お菓子屋さん、喫茶店の明正堂さん、お寿司屋さん等があり、その周りはスナック、バー、小料理屋さんが軒を並べ中ほどに柏屋旅館さん、お菓子の梅月堂さん、電気屋さん等があり、北側には、加藤新聞店さん、工藤旅館さんがありました。また、下駄屋さんや、染物屋、精米所、歯医者などもあり、いろんなお店と料飲店が一緒になり、一つの通りに形成されていて、料飲店が夜遅くまで営業をしているので一般のお店も閉店時間は遅かったみたいです。梅月堂さんも毎夜十時ころでもお客さんが結構来たのを思い出されたようですよ。 商工会館 成田新道のさらに西側の堤防よりには、公会堂の大きな建物があった。この建物は佐久鉄道の寄付で立てられ、一階は佐久商工会議所が使用しており、二階は大広間があり公会堂として使用し、会議所が中込原に移転した後も橋場の公会堂としてしばらく使用した。 まだ田畑も 警察署も当時より前になるが、その建物の堤防寄りにあり、後に野沢の派出所として、移転した。また堤防の内側や、今第3駐車場になっているところより国道の間は、まだ田んぼや畑があった。今では想像もできないくらいですね。 当時に比べ今は、昔からあるお店も世代交代等あり、新しいお店が7割位にまでなって、テナントが多く、住んでいる人が減ったこともあって、人情味あふれた人付き合いがなくなってきたのが寂しいと梅月堂さん。 「さあ今夜も一杯飲みに出かけるぞ」心の癒しが出来る中込の料飲街がお待ちしております。 梅月堂さん、工藤旅館さん取材ご協力ありがとうございました。次回をお楽しみに。 成田新道の中央付近。 左に「さかい」「梅月堂」の看板が見える。 ![]() 現在の成田公園付近にあった商工会館 ![]() 【中込商店街だより2008年11月8日付第154号より】
by nakagomi_1
| 2008-11-07 13:20
| 中込あのころ
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