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2008年 10月 18日
ちょっと昔の中込を顧みる「中込あのころ」今回は、中込の料飲街の今はなき「弁天通り」と「相生町」の通りのことを『船場』さんのおかみさんに、当時(区画整理前)の飲み屋街の風情や、通りのことについてお話を伺いました。
船場さんは、いまは料飲街のなかほどで、 小料理店として、また30名くらいまでの小宴会場として、地元の人から南北佐久の広い範囲からのお客様でご繁盛をつづけています。 「酒を飲みに行くなら中込」。と言われたとおり中込は、「佐久のシャンハイ」と呼ばれ、特に佐久地方では、沢山の飲み屋さんが軒をつらねた飲み屋街は有名で、その昔佐久鉄道が通るようになった(大正4年)頃より飲み屋さんや遊郭がぽつぽつできはじめ、それが今のような一大料飲街になり、名が知れた。 弁天通り さて、この弁天通りは名前のとおり弁天様が祭ってあったことからこの名前がついた。銀座通りから相生町へぬける自動車一台がやっと通ることができる細い路地。銀座通りから入ると、 パチンコ店と臼井屋さんが、その奥に弁天様が祭ってあり、クリーニング店、旅館弁天館、銭湯の亀の湯、江元治療院があり、それ以外は両側が、スナック、バー、小料理屋さんが軒を連ねていました。 弁天通りの中ほどから中込用水を渡る小さい橋があり、郵便局のある本通りへ抜けられる小道がありました。この道は用事に出かける便利な近道として、知る人ぞ知る道で、大分利用されたようです。 相生町 相生町はと言うと、現在の長野銀行のある交差点より千曲川の堤防にぬける道で、今とあまりかわることがなかったが、昔とまったく変わらない場所に新装したお店や、移転したお店やらで、さまざまです。 お祭り 祭事と言えば、夏の祇園祭。今では野沢だけで、中込は一切催されていないが、当時は、料飲店の老若男女が神輿を担ぎ中込の町を数基が威勢良く練り歩いた。記者も若い女性が神輿の上に上がり、民衆の注目を浴びている姿を思い出しました。若きころの船場さんのおかみさんも参加しては、ひと時の思い出として深く残っていると、話してくれ、またできれば復活して中込の町をにぎやかにしたり、仲間の親睦を深めたいと語ってくれました。 ◇ ◇ 「船場」のおかみさん取材ご協力ありがとうございました。 「中込あのころ」次回をおたのしみに。 当時の弁天通り。和泉・サニー・エンゼル…などの看板が見えます。 お祭りのようす(船場のおかみ)提灯には「弁天通り共栄会」の文字が読めます。 当時の相生町。写真を拡大すると、さかがみ・とん吉・リカ・三羽などの看板が見えます。 【中込商店街だより2008年10月18日付第151号より】
by nakagomi_1
| 2008-10-18 00:00
| 中込あのころ
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